【かったの想うこと】
「つる子どもまつり運動とは?」


まず「運動」とは、何かの目的(問題の解決)を達成するために行うもので、達成された時、運動は自然に消滅しているものである。
では、子まつり運動はいつ消滅するのか?それは「想い」にある通り、子どもが地域で健やかな成長を遂げることができる環境が完成した時だ。環境が時代の移り変わりと共に常に変化していくものなら、この運動が終わることはまずない。しかし、何らかの形で一定の成果を目にすることはできるはずである。

では、その成果とは何か。それはもちろん、子どもが地域で健やかに成長できる環境になりつつあるな、という成果のことだ。実際に目に映る“環境”には、どのようなものがあるだろう?
 子ども・親・先生・地域の人みんながあいさつを交わしているまち?
 児童の関わる犯罪発生率が全国的に見て極端に低いまち?
 月に1度は子ども関係のイベントが行われているまち?
 各地区に必ず地域子ども会が存在し、それぞれ活発に活動し、年に1度その子ども会たちがそれぞれ“くに”を出して行われる「子どもまつり」が存在するまち?
 毎週金曜に地域民を対象にした「教育を語る集い」が開催されるまち?
たくさん浮かんでくる。

そして、そのアイディアたちを実現するための手段(=過程)も色々ある。しかし、大まかに分類するならば、手段は2種類になると考えている。それは、
 1.地域子ども会やボランティア活動など、自分たちのできる(手の届く)範囲の活動を継続させ、その輪を徐々に広げていくもの
 2.署名運動や街頭演説などで賛同者を増やし、国・県・市などの社会基盤を成すものへ直接訴えかけ一気に環境を変えてしまうもの

ではないだろうか。

都留の子まつり運動は、現在、前者のスタンスをとっている。
前者の過程を辿ることには、「誰でも参加しやすい(過激な印象がなく、活動内容に幅がある)」というメリットと、「具体的・直接的な結果が目に見えづらい」というデメリットがある。誰でも(立場・年齢・性別関係なく)参加できる分、全体としての具体的な達成目標を定めづらく、自分たちの活動が地域にどのように還元されたのか、自然に根付いていくタイプの成果であるがゆえにはっきりと確認しづらい。これが「自分たちの活動に意味はあるのか」という疑問を生み、そして「次に何をどうして行けば良いのか」という方向性を考えるに当たり阻害となる。上記のような問題が発生した時、それは、存在意義を問い続けなければならない子まつり運動が、問いかけをさぼってしまった時ではないだろうか。

そして…子まつり運動の求める環境とは、「○○なまち」であることと言い換えられる。これは、つる子どもまつり運動というものが、そもそも「まちを変える運動」であることを意味している。今の言い方をすれば「まちづくり」「まちおこし」といった表現になるのかもしれない。ただし、子まつり運動が、当時の都留の子どもたちの現状を痛烈に悲観し、計り知れない危機感を持ったことから発生した“運動”であることを考えると、一概に「まちづくり」という言葉でくくってしまうには少し抵抗がある気もする。(しかし、今世間…県内や全国に子まつりを発信する場合、やはり「まちづくり団体」という表現になるだろう)

まちを変える…
まちを変えるとは、制度を変えるか、人を変えるかだ。そして前述の通り、子まつり運動は、人を変えることを選んだ
子まつり運動に関して、「人」とは、地域民全てである。地域民とは、地域の人であり、親であり、先生であり、学生であり、そして子ども(高校生、中学生、小学生、幼児など)である。「子ども」という存在を見守る立場にある全ての「人」ということだ。
そして、子まつり運動で、「人」を変える手段は2つある。1つは、直接「人」へ訴えかけること。もう1つは、自分たちが、自分たちの考える「地域における健やかな成長」を促す活動を、「子ども」へはたらきかけることで間接的に「人」へ訴えかけることだ。

1つ目は、主に「教育を語る集い」や他著名人による講演会など、「人」に対する学習会の企画などがそれに当たる。自分たちが学習したことを訴えかけることもあれば、“共に学び合っていこう”という姿勢をアピールすることもある(意義やねらいはこういった部分を注目して立てるべき)。
対して2つ目は、学習し「子どもや環境のあるべき姿」を設定した自分たちで実際に現場に出てみること。そこで実践している姿を見てもらい、子どもたちの反応などを通して「人」に運動の重要性を感じてもらうものだ。
毎年5月に行う、子まつり運動の起点であり、現在においても最大の企画である…「つる子どもまつり」は、後者の存在である。つまり、『「人」に自分たちの姿を見てもらう』という視点があってこそ、初めて「つる子どもまつり」は「つる子どもまつり運動」としての意義を持つのだ。では、つる子どもまつりに「子ども」に対する視点は必要ないか?そんなことはない。逆に、「子ども」に対する視点を全力で詰め込んだ、現時点での子まつり運動の答えが「つる子どもまつり」であっても良いと考える。

なぜ、「子ども」を対象にした間接的な運動である「つる子どもまつり」という企画が、子まつり運動の集大成であるか。それはもちろん、つる子どもまつりが、「人」へ訴えかける力において最も強力だと判断したからである。
現時点で考えられる「子ども」への想いを、地域全域を巻き込んだ継続的な大企画「つる子どもまつり」に込めて行う。刻々と変化する社会情勢に対応した企画内容、継続し行っていくという姿勢、毎年参加する子どもたちの顔、その子どもたちが受けるであろう影響…それらを目の当たりに、あるいは想像させることで、「人」に子まつり運動の意味・意義を衝撃的に与え訴えかけることができるのではないか。つる子どもまつりには、それほどの力があるのではないか

つる子どもまつり運動とは…
まちに住む、子どもを守る立場にある「人」を変える“運動”であり、その最大の目標は、「子まつり運動が(望ましい形で)消滅すること」である。

つる子どもまつりとは…
子まつり運動における、「人」へ訴えかける最大威力の手段であり、現時点での「子ども」への想いを詰め込んだ、想いの産物である。

2005・3・2時点における、かったの個人的な子まつり観です。勢いで書いたからわかりづらい所もあるだろうし、反対意見もあるかと思います。僕自身今後変わる可能性高いし。
けど、今書きたくて書きました。何かメッセージがあれば何でも書いてくださいね。

(2005.03.02 かった)

 




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