3 平和的グローバリズムとしての【トリテリアリスト】



「で・・・マルスは」
 私は注意深く聞いた。彼女の形相を封印するに当たり、レトルト食品を並べただけでは少々心許なかった。

「どうだったかな」

「それがね・・・」
 しかし、思いのほか彼女の表情は穏やかで、それは氷河期の終わりを示す小さな植物の芽生えを思い起こさせた。

 植物と言えば、我が家にはトリテリアが飾られている。
 別名として「花ニラ」と言うその美しさにそぐわぬ不名誉な名を甘受しているこの植物は、春先になると先の尖ったシャープな形状に温か味のある薄紫色を乗せた、春の到来を喜ぶにふさわしい可憐な花びらを広げ見る者の心を穏やかにしてくれる。
 そもそも氷河期の終わりを示す小さな植物は、トリテリアだったのではないだろうか。

 私は幼少の頃より庭先に咲いていたトリテリアに癒しを求めていたわけだが、世界的にも近年トリテリアの認知度は高まる一方で、昨年ついにここ山口県宇部市で世界190ヶ国の協賛による『世界トリテリア博』が開催された。
 開催2日目のシンポジューム『トリテリアと世界――平和の象徴として――』において、ユード・ダ・デルセルス博士による「花ニラを一年中咲かせる装置の発明の必要性」などというワビもサビも理解していないまったくもってナンセンスな講演があり大変盛り下がる一面もあったが、世界トリテリア委員会の名誉会長でもあるボンゴリー・トップ・ジーマン博士による「平和的コミュニケーションツールとしてのトリテリア――インターネット上での実験報告――」には目からウロコが落ちる思いであった。 かく言う私もその実験に参加していた一人だ。そのコミュニケーションサイトは【トリテリアリスト】と言い、言語や人種、経済などあらゆる格差を排除した、ただただトリテリアのもとに集まった人々が手を取り合い、語り合い、笑い合い、平和と幸福を全身に感じることのできるスペースである。
 残念なことに【トリテリアリスト】は実験終了に伴い先日閉鎖されてしまったが、今回の講演もあってその意義は十二分に世界へ示されたであろう。

 惜しむらくはやはり、花ニラという別名だ。茎がニラのような臭いがするからと。
 ふざけてはならない。ニラがトリテリアのような香りがするのだ。
 しかし言葉あそびをしたところでニラのような臭いがする事実を免れ得ないことは重々承知している。だからと言って、ユード博士による「花ニラのニラ的臭素を取り除く遺伝子改良の必要性」には賛否両論あれど、やはり私はナンセンスさを感じてしまうのである。これは日本人特有の感情であろうか。

 ちなみに今は寒空が徐々に世界を覆っていく秋なので、トリテリアの未知数な魅力を持つ花弁はまだ産まれていない。ぱっと見た感じ、葉の形状がニラっぽい気がしなくもない。


「マルス・・・ほんとに純文学に目覚めちゃったのっ」

「ゲゲッ」





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