4 演繹するジャパニーズメンタリティ



 並べられたレトルト食品の中に、一つだけ異質なものが混ざっている。それは「ナメタケ」だ。私はナメタケが大好きなのである。
 硬めに炊いた米を丼に5分の2ほど盛り、頭が顔を出す程度に熱湯をかける。そこに刻んだ万能ネギとナメタケを混ぜ込むことで、至高の一品「ナメタケの湯葉漬けごはん」ができあがる。湯量とナメタケ量のバランスは非常にデリケートに構成されており、ある特定のポイントで一致したときのみこの絶妙なとろみを演出するのだ。

 この湯量とナメタケ量の黄金比は、数多くの日本の食文化通や数学者が長年に渡って研究し続けたテーマであり、古くは室町時代の農民がクワを用いて地面に数式を書き連ねていたことが明らかになっている。その農民は梅雨が明けた8月、まだ少しぬかるむ地面と12時間格闘した末に革新的な計算式を編み出したが、その直後外であそんでいたよその子どもによって踏み潰され、あまりのショックに当時存在の怪しまれていた東の新大陸を目指し舟を出したそうだ。

 結局、永遠の謎とさえ呼ばれたこの数式を解き明かしたのは、日本人でなく海外在住のボンゴリー・トップ・ジーマン博士であった。かの天才博士を持ってしても数式の解明には4年の歳月を費やしたが、それを乗り越えさせたのは博士の日本食に対する深い敬愛の念であったという。
 ちなみに室町時代の農民は名を【次伊麻呂(じいまろ)】という凋落貴族だったそうだが…私がその名に宿命めいたものを感じてしまうのは、野暮というものだろうか。 

 ともかく明かされた黄金比はボンゴリー博士の粋な計らいによって早急に一般化され、それによって今私の目の前には当然のように黄金のナメタケの湯葉漬けごはんが据えられているのである。この当然に感謝する心を、日本人は忘れてはならぬと思うのでござる。


「まぁ確かに美味しいけどさ、湯葉って関係ないよね。入ってないし」

「そこは語呂の良さでござるよ」


 マルスは私たちの横に座り、先ほどからずっと窓の外をぼうっと眺めながら「ぼくは ぬえ」とつぶやいている。不気味なようで、その生まれたての子猫のような愛くるしい姿がオブラートとなって全てを包み込んでしまい、そこには洗練された愛くるしさだけが残るのである。


「ぼくは ぬえで ござるよ」

「ちょ、ちょっと。変なこと言うからっ」

「ごめん」





前へ   次へ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送